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2008年9月

遅い夏休みで

夫と、長野の、蓼科、白樺湖方面へ行ってまいりました。

1日目は、蓼科ロープウェイ(天候不順で、視界不良のため、結局ロープウェイには乗らずに帰ってきましたが・・・^^;)、

日本最初の「本格的英国式庭園」として知られる「バラクラ・イングリッシュ・ガーデン」へ。

雨の中でしたが、イギリスの本格的なお庭と、そこに咲く花々を堪能。

ホテルのチェック・インまで少々時間がありましたので、

山下清画伯の「放浪美術館」へ。

小さな美術館でしたけど、貼り絵、デッサン、油絵などの原画がたくさん展示されていて、

素敵な美術館でした。

ホテルにチェック・インし、1泊しました。

2日目は、美ヶ原高原美術館へ。

屋外展示で、アーティスティックな彫刻や、オブジェ。

屋内では、光の演出による展示などがあり、幻想的。

絵画や、風景写真の展示もあり、かわいい作品や、素晴らしい芸術的な風景写真を見て、

心も「お腹いっぱい」になりました^^。

帰路の途中で、ランチも済ませ、夕方には家に到着。

1泊2日の短い旅行でしたが、満喫しました^^。

旅行での細かい出来事は、これから記事にして少しずつアップしたいな、と思ってます^^。

これから、何回か「旅行記」の記事が続きます・・・・^^;。

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おくりびと

映画話題が続いてしまう気がしていたので、

記事にするのが後回しになってましたが、

先々週の日曜日、公開2日目に「おくりびと」という映画を夫と観て来ました。

モントリオール映画祭でグランプリを受賞した作品なんですが、

「納棺師」という、遺体を清めて、棺におさめる職業を、テーマにしながらも、

ユーモアを絶妙にちりばめて、愛すること生きることを紡ぎ出す異色の感動作、

という前評判で、私も夫も「絶対観に行きたい!!」と話していた映画でした。

ひょんなことから「納棺師」になった主人公が、さまざまな死に向き合うことで、そこに息づく愛の姿を見つめていく、というストーリーなのですが、

最初から最後まで、スクリーンに釘付け状態。

「死」の最前線?で仕事をする「納棺師」をテーマにはしているけれど、

暗い、哀しい要素は全くありません。

むしろ、会場から「クスッ」と笑い声が上がるくらいの、ユーモアの散りばめ様。

でも、決しておちゃらけた「笑い」ではなく、「ユーモア」溢れる作品といえるかな。

そして、その中で「人間の死」ということ、大切な誰かをあの世に「おくる」ということ、

ひいては「人間の生き様」について、深く考えさせられる感動的な作品でもあるのです。

主人公の「納棺師」を演じるのは、本木雅弘さん。

実際に「納棺師」のもとを訪れ、仕事を体験したそうです。

ご本人も、10年前にインドに行かれた時に、

まさに「生と死」が混在している場面に出くわし、

その時から、今回のようなテーマの作品を、演じてみたいと、強く希望されていたと言っていました。

アイドル時代の「モックン」のイメージが、私には大きかったけれど、

この映画での演技を見て、「役者」としての「本木雅弘」の魅力を感じました。

そして、脇を固めるのも豪華なキャスト。

主人公を雇う会社社長で、自身もベテラン「納棺師」を演じる「山崎努」さん。

この人の「役者」ぶりは、凄い、凄すぎます!!

ちょっとした仕草、たたずまい、たった一言のせりふで、映画の一場、一場が引き締まる。

圧倒的な存在感です。

山崎さんなくしては、この映画はこんなに素晴らしい作品にはならなかったはず。

会社の事務員さん?役の「余 貴美子」さんの切ない演技も見所です。

映画の舞台である「山形」の自然の風景も、また美しい。

チェロの音色で織り成す感動的な音楽。

これは、ジプリの宮崎アニメの音楽を数多く手がけてきたことで有名な久石譲さんの手によるものですが、映画の雰囲気に素晴らしく華を添えています。

「人は誰でもいつか、おくりびと、おくられびと・・・・。

あなたは大切な人を、どう”おくり”ますか?

そして、どう”おくられたい”ですか?

すべての人に普遍的なテーマを通して、夫婦の愛、わが子への無償の愛、

父や母、肉親への想い、友情や仕事への矜持などを描き出す本作が、

観る者に笑いと涙、そして感動を必ずや与えてくれることでしょう・・・。

ユーモアと感動が融和した異色作、納棺師の物語が私達にさまざまな愛を届けてくれます。」 (2008年 映画 「おくりびと」製作委員会より)

私も夫も、何度も笑い、そして涙を流して観て来ました。

私が大人になってから観た映画の中で、確実に「5本の指に入る」と思われる作品です。

1人で観るのではなく、

大切な親子でも、夫婦でも、恋人でも、友達でも

あなたの身近な誰かと、一緒に観に行かれることを、是非お奨めしたい映画です^^。

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礼拝(ミサ)と、お墓参り

最初にお断りしておきますが、今日のエントリーは、「信仰」の問題を(たいしたことじゃないんですが^^;)含みます。苦手な方は、スルーしちゃってくださいね^^。

このブログを、始めた時から読んでいてくださってる方は、ご存知かと思いますが、

私はクリスチャンなのです。

でも、決して、一生懸命で真面目なクリスチャンではなく、

何となく1ヶ月に2~3回教会に行くくらいの、(めんどくさい時には、2ヶ月に1回とかのときもあるし、)実に不真面目なクリスチャンなのです^^;

えっと、私の所属するのは「聖公会」という、イギリス国教会の流れを汲む教派で、

教育関係では、多くの学校(関東では、立教大学、立教女学院、香蘭女学院など。関西では、桃山学院、平安女学院、プール学院、松蔭女子学院など、)や、後は、90歳を過ぎてもなお現役医師として活躍している日野原重明先生が理事長をされている「聖路加国際病院」などの、経営母体となっている、キリスト教の教派の中でも、比較的メジャーな教派だと、思います。

ので、決して私は”怪しい”部類の教会に属するクリスチャンではありませんし、

他人を勧誘するという気持ちが、初めからさらさらなくて、

自分の「信仰的満足」のためだけに、クリスチャンになりましたので、

ブログを訪ねてくださる方も、どうぞご安心^^下さい。勧誘しませんので^^;。

鬱になりまして、約半年ほど、教会に行っていませんでしたが、

やっと余力も出てきましたので、久しぶりに教会に行き、

礼拝に参加してきました。

教会で、毎週行われている「礼拝」も、

牧師さんのお説教が小難しくて長かったりしますと、嫌になることもあったりしますが、

基本的には、静かな聖堂で、静かな気持ちで、お祈りし、

自分の気持ちを振り返ったり、聖歌(賛美歌と呼ぶ教派もあります)を歌ったりすると、

気持ちがリセットされたり、

教会の中の人間関係も、煩わしいこともありますけど、

私が今行っている教会は、ほんとに少人数のため、

もめごともあまりなく、自分より上の世代の方達とも、気軽におしゃべりできるので、

時には、楽しいことも、あったりします^^。

4月から新しく人事異動で、赴任した牧師さんも、

私と同じ世代くらいの牧師さんで、

気さくで、面白い人です。

半年も行ってなかったので、教会の信徒の皆さんに「どうしていたの?」と聞かれましたが、

「体調を崩して入院してました」とお話すると、

皆、心配してくださって、「元気になって良かったね」と喜んでくれました。

礼拝の後、みんなで食事をし、歓談し、お片づけをして、教会をあとにしました。

そして、帰ってしばらく休んで、夕方になり、

今度は、夫の実家の父のお墓参りへと行ってまいりました。(お彼岸ですからね^^;)

夫の実家は、特に仏教徒ではありませんが、

大多数の日本人がそうであるように、

葬儀は仏式だったし、菩提寺も(曹洞宗だっけかな・・・?)あります。

私は、クリスチャンですが、実の父が昨年急逝した時も、

仏式の葬儀で送りましたし、

親戚や、知人のお葬式に参列すれば、お焼香をさせてもらいますし、

お墓参りでは、お線香だってあげています。

私の所属する教派は、そういったことについては、あまりうるさくなく、

現職の牧師さんでも、仏式の葬儀に参加する時には、

ちゃんとお焼香をしています。多分お墓参りでは、お線香も上げてると思います。

多分「日本の社会に対して”開かれた”教会でありたい」という、うちの教派の基本理念があるからだと思います。

日本にあるキリスト教団体は数多く、

その中には、「他宗派の儀式に参列することを、厳しく信徒に禁止したり、制限したり」という教派も、中にはあります。

私は、日本の社会に適応できる、ある意味「ユルイ」感じの、

うちの教会が好きです。

多分、他の教派だったら、私なんてとっくについていけず、

信仰を続けていけなかったろうな~と思います。

もちろん、お墓参り、夫と、義母と、義姉と3人で、

仲良く行ってまいりました。

ちゃんと、お線香をあげて、仏式で合掌して、手を合わせてお参りしてきました。

1日の間で、

神様にお祈りしたり、仏様にお参りしたり、

忙しい?日でありましたが、

キリスト教の神様も、仏教のお釈迦様も、イスラム教のアラーの神も、

元を正せば、一緒なのかなと思うときもあるのです。

広い世界の中で、多くの人種がいて、

文化も価値観も違う中で、それぞれに作り上げてきた歴史があり、

その中で、「自分達に1番合った形」の

「人間の力というものを超越した存在」を、それぞれに「神」とか「仏」として、

「それぞれの宗教」を、人間が理解できる「形」にしてきたのではないか、と思うのです。

私は、クリスチャンですから、「キリスト教を信仰している」ということは、

紛れもない事実で、これからも、信仰の基本は変わらないかと思うのですが、

私は、仏教も、イスラム教も、ヒンズー教も、自然崇拝も、

決して否定はしません。

要は、その人個人が「1番心の拠り所となれる場」が、その人にとっての「宗教」であり、

「信仰」であると思うからです。

なので、礼拝と、お墓参りを、同じ日にすることは、

他の人から見たら、結構不自然な感じがするかもしれませんが、

私にとっては、至極自然な、当たり前のことなのです。

あっ、ここまで書いていて、何を言いたいのか結局わからなくなっちゃいましたが、

要するに「信仰の自由」というものは、誰にも認められており、

その人の信じるものを「尊重してあげる」ことが、大事なのだと思います。

まとまらないエントリーですみませんcrying

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ピラティスと、エアロビクス体験

昨日の朝、今ひとつ気分が優れない、というか、乗らないって感じで、

考えることも、何となくネガティブ方面へ・・・自責的方向へいってました。

「これは、まずい!!」と、思って、

何かやって気分を紛らわそうと考えていたところ、

先日公民館の広報に入ってきた「ピラティス」と、

「エアロビクス」のサークル紹介があったのを思い出し、

見てみると、2つとも午前中。

「ピラティス」が9時45分~10時45分。

「エアロビクス」が、11時~12時。

メンバー募集中。見学体験随時受付中、になってて、

「体験だけでも、いいから、体動かして、スッキリして来よう!」

と思い立ち、見学、体験に行ってきました。

まずは、「ピラティス」。

これは、ヨガの一種みたいなもので、

もともとは、ドイツ発祥のリハビリトレーニングのプログラムだったんですね。

「呼吸法を活用しながら、主に体幹の深層筋(インナーマッスル)をゆるやかに鍛える。

これにより代謝が上がる

姿勢が良くなる

動作の無駄がなくなり、故障しにくい身体になる」効果があるんだそうです。

とりあえず、参加してみました。

ヨガマットを借りて、先生の指示通りに呼吸しながら、ちょこっと身体を動かすんですが・・・

「骨盤を意識して」

「背骨が下から積みあがっていくのをイメージして」とか、

「大胸筋を開く感じで」とか、

「肋骨を動かすようなイメージをして」とか、

はっきり言ってわけが全くわからない指示なんです^^;

第一「大胸筋ってどこだっけ?」

「骨盤低筋群って?」とか、さっぱりわからず、

しかも身体を動かすというよりは、小さな動きで「呼吸法中心」なため、

全くストレス解消になりませんでした・・・・^^;

でも、前からやってる人は「ずっと来てるとわかるようになるよ」とか、

「続けていると姿勢が良くなるのよ」とか、

「代謝も上がって、風邪ひきにくくなった」とか、言われてましたので、

続けてれば、効果はあるんでしょうが、

とりあえず、「身体を動かしてスカッとしたい。汗かいてストレス解消したい!!」

みたいに考えてた私には、「合わないかな~」なんて思いました。

次に「エアロビクス」

前の「ピラティス」に比べて、参加者の年齢層が高い。(ピラティスは、私と同世代くらいの主婦?っぽい人もいたんだけど・・・)

ほとんど、参加者がおばちゃんorプチおばあちゃん。

大丈夫なの?この人たちエアロビできるわけ?

と、余計なお世話的心配をしてましたが・・・・・

始まったら、おばちゃんも、プチおばあちゃんもとにかく動く、動く!!

軽快なステップで、先生の真似して元気に動いて、

思いっきり汗をかいてました^^;。

動きも細かいことは、気にせず、単純なステップの繰り返しだから、

すぐ覚えられるし、ついていける。

動きは単純だけど、運動量は意外に多いから、汗もいっぱいかいて、

おばちゃんたちも、プチおばあちゃんも、気持ちよさそうでした。(エアロビクスの方は、私が運動靴を持参してなかったため、怪我をすると困るから・・・ということで、見学だけでした。)

動いた後は、身体をしっかり伸ばすストレッチ。

途中腹筋、背筋とかもしますので、

筋力も鍛えられそうな気がしました。

「ピラティス」も、「エアロビクス」も、月2000円という破格のレッスン料の安さ(公民館のサークルですからね^^)なので、

どちらか、1つやってみようと思って、見学&体験してみましたが、

私には、難しくて頭を使う「ピラティス」よりも、

単純に身体を思い切り動かせる「エアロビクス」の方が合ってるかな~なんて思ったので、

来週から、エアロビクスに通ってみようと思ってます。

これを機会に「運動が習慣に」なるといいな~なんて考えてます。

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結婚一年生

先日、近所の本屋で、何気なく立ち読みなんかしていましたら、

「ベストセラー 祝10万部突破!!」というコーナーがあり、

ふと、本を手にしてみたところ、

「結婚一年生」という、コミックエッセイでした。

普段は、あまり漫画は読まない私なのですが、

今回は、内容に魅かれてその本を購入し、

家で、読んでみることにしたんですね。

コミックエッセイなので、内容はあまり期待していなかったんですが・・・・

読んでみたら、私が知らなかったこと、知りたかったこと、

これから結婚生活を続けていく上で、絶対に必要になる

役立つ知識がとにかく満載。

しかも、コミックエッセイなので、肩肘はらず、気軽に読めるし、

何よりも「わかりやすい」解説に思わず感動!しちゃいました。

この本は、ぐーたら主婦を自認する、イラストレーターさんが書いたものですけれど、

結婚生活に必要な、どの分野の内容も、「その道のプロ」に、きっちり取材して、欠かれています。

お金のこと、家計、住宅ローンの種類と組み方、ライフサイクルに合わせて掛かってくる具体的なお金の額。

生命保険、医療保険の賢い選び方。

パートするなら、年収をいくらまでにおさえておくと、税金の関係で有利になるか。

自治体から、そのつど申請すると支給されるお金のことなどなど・・・・を、その道のプロ、ファイナンシャルプランナーに取材して、わかりやすく書いてあります!

家族の健康管理について、

病気のことなら医師に、

ちょっとした怪我や病気の応急処置なら看護師に、取材した知識が、

一般の人にもわかりやすく、実践しやすいように書いてありました。

その他、冠婚葬祭マナー。結婚式や、葬儀での振舞い方や、マナーについて。

祝儀、不祝儀の一般的お包みの額。お宅訪問時のマナー。

お中元、お歳暮、お祝いなどを贈る時期や、適した品物の例等々・・・。

夫の親類縁者との、上手なお付き合いの仕方など、

こちらも、「マナーの専門家」に取材し、かなり細かく詳しく、しかもわかりやすく書かれていました。

その他、食材の保存の仕方。(ほとんどの食材の保存の仕方が、わかりやすく書いてあるので、仕事と家事に追われる忙しい主婦や、お母さん達には、大いに役立ちます)     ちょっとした料理用語の解説なんかも、ついていて、

例えば「粗熱をとる」なんて、レシピには書いてあっても、

どういうことだかわからなかったんですが、

「温度を人肌程度に冷ます」ということなんだ、とわかり、

その他にも、疑問だったことがたくさん解消されて、

「目から鱗」的な、驚きがありました^^。

他にも、洗剤メーカーの専門の方に取材して、

掃除、洗濯、アイロンがけ、など

実に細か~いところまで、フォローしてあるので、

かなり、実用的です。

よく「冠婚葬祭マナー事典」とか、「暮らしの知恵事典」とか、

分厚い「家庭生活の手引書」なんかも出てますけれど、

そんなのより、全然堅苦しくなく、気楽に読めるし、

今の時代のニーズにも、即応した内容なので、

これからも、私の「結婚生活の参考書」として、

長~く使っていける本だと思いました。

私のように、何にも知識もなく、

花嫁修業全くゼロの状態で、結婚した方には、特にお奨めですし、

食材の保存の仕方や、掃除を能率的にする細かい知恵まで網羅されてますので、

結婚生活ベテランさんにも、是非お奨めしたい本です。

ただし・・・私もそうなのですが、

この本に書いてあることを、そのまま「完璧に」全部やろうなんて思うと、

たいがいの方は挫折してしまうと思うので、

「こういう時は、どうするんだっけ?」と思ったとき、

気楽に使える「参考書」と捉えて、活用していければいいんじゃないかな、と思います。

久々に、タイムリーに、実用的かつ、わかりやすい本に出会えました^^。

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グーグーだって、猫である

先日、水曜日に、1人で映画を観に行って来ました。

水曜日は「レディスーデイ」のため、どの映画も1000円で観ることができます。

お得なので、1人で観たい映画は、レディスーデイを狙って観にいっています^^。

今回観た映画は、私の好きな小泉今日子さんが主演。

大島弓子さんという、有名な漫画家さんの、コミックエッセイが原作の、

「グーグーだって猫である」という映画です。

ここからは、ネタバレの可能性ありますので、「観に行きたい!」と思ってる方はご注意を・・・^^;。

売れっ子漫画家の、主人公麻子は、締め切りを終えた日に、

15年可愛がってきた愛猫を、病気で亡くしてしまいます。

哀しみに暮れて、呆然自失になっていた麻子は、

ペットショップで売られていた猫に、「運命的」な、直感的な「出会い」を感じ、

そのまま、その猫を家に連れて帰ります。

その猫につけられた「名前」が「グーグー」です。

愛猫をなくした天才漫画家と、彼女を取り巻く人々の何気ない日常が、

軽快な音楽にのせて描かれています。

途中、主人公の漫画家が、卵巣癌であることがわかり、

その闘病なども、描かれていますが、

話自体は、大きく展開したり、スリリングな要素はなく、

ほのぼの、ほっとさせられる映画でした。

「ほのぼの感」を醸しだしているのは、

やはり、映画に登場する「猫ちゃん」たち。

私は、犬も、猫も大好きなので、にゃんこたちを観てるだけでも、癒されました。

犬は、人間に忠実で、真面目なところが、可愛くて好きだけど、

猫の、「わがまま」で、「きまぐれ」で、「自由奔放」に生きてるくせに、

いざとなると「甘えてきたり」するのも、

私はとても、好きなのです^^。

もう1つは、この映画のロケ地。

東京郊外にある「吉祥寺」です。

私は、短大の2年間を、吉祥寺のすぐ側(確か吉祥寺から私鉄で2駅くらい)の学校で、過ごしました。

短大の頃は、毎日吉祥寺を経由して通学していましたし、

友達とお茶するのも、ランチするのも、カラオケするのも、買い物するのも、

みんな「吉祥寺」の街でした。

吉祥寺って、不思議な街で、都会的な要素もありつつ、

ちょっと歩けば「井の頭公園」という緑豊かな公園があったり、

少し、路地を入ると、一杯飲み屋街みたいなのもあるかと思えば、

若者向けの洒落たカフェなんかも、とても、多いし、

繁華街を抜けて、少し歩けば、落ち着いた住宅街になってたりして、

ほんと、いろいろあって、いろんな人種?(学生も、サラリーマンも、バンドとかやってる若いお兄ちゃんとか、OLさんとか、住宅街に住む奥様達とか、もちろんお年寄りとかも)がいて、

歩いてるだけで、いろんな発見があって、面白かったな~なんて、思い出しました。

駅のガード下。  私鉄が走る様子。

商店街やデパート。

友達と、学校から歩いて通った「井の頭公園」

友達と、恋愛や、人生について語り合った、公園にある円形ステージのベンチ。

どれも、とっても、思い出深く、

映画にそういった場所が出てくるたびに、

懐かしさと共に、ちょっぴりほろ苦い青春時代の思い出が、鮮やかに甦ってきました^^。

もう1つ、映画に色を添えていたのは、素敵な音楽でした。

時に、軽快に、時に切なく、優しい音楽。

エンドロールを見たら、音楽担当は「細野春臣さん」。

納得^^しました。

ストーリー自体は、どきどき、ワクワクするような、スリリングな展開ではないから、

そういった意味で「面白い」という要素は少ないかもしれないけれど、

観ていて、ほっとする、温かい気持ちになれる映画です^^。

ちなみに、主人公が、猫ちゃんに、「グーグー」と名づける時に込めた意味ですが・・・・

これは、映画を観てのお楽しみ^^です。

どうしても気になっちゃった人は、観てみて下さい^^。(あっ、私は映画の配給会社の回し者ではありませんので・・・念のため^^;。)

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お勉強を始めます!!

退院してから、2ヶ月弱。

実家療養から、アパートへも、戻れたし、通院して、薬飲みながらですけど、

家事や、身の回りのことをはじめ、親戚付き合いや、自分の趣味のこと、好きなことなど、

色々出来るようになりました^^。

順調に回復していると、医師からも言われたので、

そろそろ「パートでも・・・・」と、考えたのですが、

私が持っている資格って、

「幼稚園教諭」 「保育士」 「自動車免許(しかも、AT限定^^;)」 「英検2級(これも、取ったのが10年くらい前の話なので、今は全く通用しません・・・^^;)」

これだけなんですね。

この中で、1番使えそうな資格は、もちろん実務経験も含めて、「保育士」なんですが、

「保育士」の仕事は、責任が重大で、国家資格であるにもかかわらず、時給が安いこと、

あと、精神的な負担が、今の私には重すぎちゃうかもしれない、

それに、私は、子どもとの日々の生活というか、日常の保育の仕事は好きですが、

あの、行事の前の、ピリピリした雰囲気とか、「運動会」や、「発表会」で、いろいろと

覚えさせたり、練習をさせたりしなきゃならないのが、本当に嫌でした。(本来は、「遊び」の延長として行うのが、正しい保育のあり方だと、学校でも習いますし、私自身も、「行事は、日常の保育(生活)の延長上にある」と、考えてはいるのですが、実際にはなかなかそうはいかず、”見栄え”を重視する園がまだまだ多いため、結局、子どもたちに、行事前には、「練習を強いる」ことになってしまうんですね~。でも中には、大学付属の幼稚園とか、研究機関とか、経営者の考え方が進んでいる園では、「子どもの”遊び”の延長として、練習を無理強いせずに、行事を行っている」園も、あるにはあるのですが・・・・^^;)

そんなこともあって、保育士としての復帰は、今回は見送ることにしました。

でも、そうしたら「一体私に何ができるの?」って話になります^^;。

以前のパートは、調剤薬局の事務でしたけど、

心身の不調で半年で退職してしまったので、調剤事務のことは、

はっきり言って、ほとんど吸収できないまま、辞めてしまったし・・・・

ただ、医療関係の仕事というのは、好きで、(実際看護師目指して、看護学校にも、2年とちょっと通ったこともあるし・・・病気で、中退しちゃいましたけど^^;)、

人の役に立つ、というか、「患者さんの役に立つ」医療関係の仕事がしたいな~なんて思ったんですね。

もう10年以上前の話ですが、最初に就職した幼稚園を、あまりの労働条件の悪さに(朝7時に園に出勤、帰りは毎日夜中の9時、10時。行事の前には、帰宅が午前3時なんてこともありました。日曜、祝日、お盆、年末年始は、一応休みでしたけど、土曜は半日というか午後2時くらいまで仕事で、家にいても、保育や、行事に使う「作り物」をしてたりして、その他、保護者対応など神経を遣う仕事もあり、このままでは過労死するんじゃないか、と怖くなって)4年で辞めました。

退職後、「もう、保育は嫌だ」という気持ちが強くなってしまってたので、

眼科の開業医に、医療事務として、勤務しました。

医療事務とはいっても、小さいクリニックですから、受付→カルテ作成→簡単な検査→医師の処置補助→会計→医療事務(保険点数計算や、レセプト<診療報酬明細書>の総括)まで、

一応2人の事務員で、一連の作業をやっていました。

(そのクリニックは、医師の性格?に問題があり、患者さんや、事務員にむやみやたらに機嫌が悪いと当り散らすことと、その頃から「看護師になりたいから、看護学校へ入学したい」という夢が出てきて、約3年で退職し、その年の4月に東京の大きな病院の付属看護学校に進学しました。)

看護学校で、一応医療というか、看護の勉強したこともあるし、眼科の医療事務も経験したことがあるので、

今度のパートは、病院や、クリニックの医療事務はどうかな~?と思ったんですが、

何せ、医療事務してたのは、10年以上前のこと。

それから、医療保険制度も、どんどん変わってきていますし、

事務作業も、コンピューター化が進み、最近では電子カルテなども、導入されてきていますし、(10年前も、レセプトコンピューターは使ってましたが、今はレセコンも、どんどんバージョンアップしており、とても、10年前の操作の知識では、対応できないと思います。)  眼科の医療事務経験しかないので、他科については、知識がありません。

医療事務は、医療専門職ではないので、基本的に資格がいるわけではなかったから、

私は、医療事務の資格(民間資格ですが・・・)も持っていません。

なので、「医療事務」の勉強を、改めてして、「資格を取ろう」、と思い立ちました。

最初は、通信で・・・(その方が安いので)とも思いましたが、

ネットや趣味にはまって、勉強がおろそかになりそうなので、

スクールに通って勉強し、資格を取ることにしました。

平日の週2日、午前中2~3時間で、約3ヶ月通って、

最新の医療事務の知識を、基本から教えてくれて、技能審査(資格取得)の試験対策もしてくれて、

最新の、レセプトコンピューターの操作まで、学習できる、という内容の講座です。

医療事務の派遣業務もやっているので、講座修了後の就業相談まで、フォローしてくれるという点も、安心しました。

私が希望する、平日午前のみ、とかの病院でのパートなんかも、相談に乗ってもらえるみたいです^^。

今、仕事に出てしまうには、少々時期が早いかな(まだ、退院して2ヶ月ですし^^;)、とも思っていたし、資格は持っていって損することはないので、

せっかく時間の余裕がある、今、この時にしっかり勉強して、

資格を取れるように、頑張りたいと、思ってます。

ちなみに、私が目指す医療事務の資格は「日本医療教育財団」の認定する「メディカルクラーク2級」という資格です。

講座を修了するだけでなく、「2級医療事務技能審査試験」に合格しないと、取れません。

久々の「受験勉強」です・・・・。

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みゆきさんと私

昨日、久しぶりに夫とカラオケに出かけました。

ちょっと前から、夫はカラオケに行きたがっていたんですが、

私は友達と行く機会も多いため、(そう言えば、男同士でカラオケって、あんまり見かけないから、男性はカラオケに行く機会が少ないのでは?なんて思う。)

夫とカラオケに行く約束が延び延びになってて、

たまたま、2人とも暇だったため、昨日の夕方「激安」なことでここら辺では有名なカラオケ屋さんに、夕方から行ってきました。

夫が、歌うのは、主に「長渕剛」オンリー。(イメージ的に全く似合ってないんだけど、本人は好きらしい・・・^^;)。私の知らない歌ばっかりです^^;

でも、私も歌うのは、「中島みゆきさん」オンリーで、しかもアルバムに入ってるような、ファンでなければ知らない曲なので、

お互い好き勝手に歌ってたという感じでした。

今日のタイトル「みゆきさんと私」なんですけど、

「みゆきさん」なんて、友達みたいに呼んでますが、

偉大なアーティスト「中島みゆきさん」のことです^^。

カラオケしながら、ふと思ったんですが、

「みゆきさんの歌」との出会いっていつだったんだろうな~。

多分、1番古い記憶は「時代」なんですね。

この曲は、ファンの皆さんでなくても、誰でも知ってるような有名な曲ですよね。

みゆきさんは、この曲で、「世界歌謡祭グランプリ」を受賞されました。

でも、この曲を初めて知った時は、小学生で、

しかも、学校で配られる「音楽の教科書の副読本」に載っていたので、覚えて

「いい歌だな」とは思ったんですが、誰が歌ってるかとかには興味もなかったんですよね。

次の記憶は、多分小学校高学年か、中学生あたりにヒットした「悪女」ですね。

当時、子どもだった私は、歌詞の意味なんか全くわかんなかったんですけど、

何となく切ない感じのメロディーが好きで、良く口づさんでいました。(何で女がつけないコロンを深夜の喫茶店でつけるんだろ~?みたいに思ってて、この歌詞に込められた、女性の精一杯の強がり、いずれは振られてしまうであろう彼への切ない想いなんて、全く理解できないお子チャマでしたので・・・。)

「悪女」のときに、これを歌ってるのが「中島みゆきさん」というテレビに全く出ない歌手だということを知りました。

その次が、「空と君のあいだに」です。

これは、まず「家なき子」というドラマにはまり、当時真剣に見てました。

就職したての頃で、精神的にもきつかった頃ですが、

このドラマの主題歌だったのが「空と君のあいだ」です。

この頃から、中島みゆきさんて、いい歌を書かれるなぁ・・・と思い始めてました。

カラオケでも、「空君」を良く歌ってましたね。

その次が、だいぶ空いてしまいますけど「地上の星」です。

この世に生き、いろんな困難に立ち向かうひとりひとりの小さな星ともとれる「わたしたち、ひとりひとり」に、

「見守っているから、頑張りなさい」というエールをもらえる曲のような気がして、

この曲もいいな、って思うようになり、

やはり、カラオケでの定番になりました。(ちなみに、この曲と一緒に入ってた「ヘッドライト・テールライト」も好きでした)

でも、まだこの時は、「中島みゆきさんの曲っていいな」と思うくらいで、

CD買ったり、コンサート行ったりするような、いわゆる「ファン」ではなかったと思います。

決定的だったのは、Kちゃんに出会ったこと。

Kちゃんは、昔からみゆきさんが好きで、みゆきさんのファンでした。

だから、Kちゃんと会ってカラオケする時は、中島みゆきさんの歌をKちゃんは歌うことが多くて、私の知らない昔の曲や、アルバムの中の曲をよく歌ってました。

「中島みゆきは、とにかく歌詞がいいよ。まーがれっとも聴いてみたら。」と言われ、

その当時は、仕事もフルタイムで忙しかったし、以前のアルバムとか聴く、時間的余裕もなかったんだけれど、

こうして、主婦になって、時間がある程度自由にもなったので、

少しずつ、レンタルで以前のアルバムとかも、聴くようになりました。

そしたら、もう、はまった。はまった!!。

みゆきさんワールドの虜になっちゃった感じです。

この人の歌を、是非ライブで聴いてみたい!!

と、思って、必死の思いで取りづらいチケットを確保して、コンサートに出かけたら、

ますます、はまりました!!

コンサート前から、みゆきさんファンの掲示板に遊びに行くようになり(ここに来てくださるみゆき教宣教師さんとも、そちらでお世話になっています^^)、書き込みすると、

偶然、私と同じ日の、コンサートに行かれる方が、その掲示板に何人かいらしゃって、

「開演前に、オフをしましょう。」ということで、誘っていただいたんですね。

オフに来られた方は、中学生から私よりちょっと上の世代の方までだったんですが、

改めてファン層の広さを知りました。

オフでのおしゃべりもとても楽しく、私が知らなかったことも、たくさん教えて頂けて、

みんな初対面なのに、すぐ打ち解けられて、とっても楽しかったんですね^^。

あぁ、こういうファン同士の交流が持てるって、すごくいいな(掲示板での交流も、もちろんそうです)、って思いました。

そんなわけで、今、みゆきさんにはまりまくっている私ですが、

どこがそんなにいいのか?と問われれば、「歌唱力」「曲の美しさ」もさることながら、

何と言っても、「歌詞の意味深さ」なんですね。

みゆきさんは、詩人になっても良かったんじゃないかっていうくらい、「言葉」を操る能力に長けていると思います。

それは、もう神様が与えた「天賦の才能」に近いくらいに思っています。

みゆきさんの歌詞に触れると「人間の生きる意味」とか、「人生の奥深さ」とか、「人が、人であるという意味」とか、「人を愛するということの尊さ」とか、そういうことを深く考えさせられます。

それが、「人間の生、命」だけじゃなく、

「生きとし生けるすべてのもの」に対して注がれている、

そんな風に感じることも、あります。

昨年、ニューアルバムのリリースの時、雑誌のインタビューで、このように言われています。

「土の入ったざるを、川の流水の中で揺すると、砂金だけが残るのありますよね。

あれに似ているかもしれない。

心のざるというか。

歌を聴いたとき、聴いた人の心のざるに何かが残ったとしても、何が残るかは歌い手側の意図を超えている場合もあって。

あくまでも聴く人たちの環境や心境とか、状況によるものだと思いますよ。」

だから、みゆきさんの歌は、聴く人の人生経験次第。

何百通りにも聞こえるという。

また、糸井重里さんとの対談の中で、

「最先端を行く係りには、私はなれませんから。

そういう試験があったら絶対に不合格。

これからの時代はこれが流行る、これが求められると、いろいろ情報を集めて解析し、

一歩先んじることは向いてない。

それができないのなら、私には何ができるのかと思ったとき、速さより遅さだと思い当たったんです。

先を急ぐ人たちは、たいてい何かを落としてしまうものだから。

ざるを持って、それを拾っていこうかなと。

それを磨こうかなと。」と、おっしゃっていました。

こういう、みゆきさんの考え方、生き方そのものが、才能と相まって、

あのような、素晴らしい歌詞が書けるのかなぁ・・・なんて思いました。

今年は、コンサートではなく「夜会」という、

コンサートと、演劇が合体したような(ミュージカル、とも違うんですが、「言葉の実験劇場」と言われてました)舞台が年末にあります。

チケットは、抽選なので、当たるかどうかわかりませんが、

当たれば、「初めての夜会」になるので、楽しみにしてます。(夜会自体はDVDで、何作品か、見たことはあるのですが・・・)。

これからも、ますます、みゆきさんの世界にどっぷり浸かりそうです。

人生の節目、節目に「力を与えてくれたり」「迷う時に方向を指し示してくれるような」

そんな素晴らしい歌の数々に出逢えたこと。

それを、生み出される「中島みゆきさんに出会えたこと」

とても、嬉しく思っています。

Kちゃん、みゆきさんの素晴らしさを知るきっかけを与えてくれて、感謝^^です。

ありがとう。

追記

ちなみに、昨日私が歌ったのは・・・・

「誕生」   「ファイト!」  「かもめはかもめ」   「雪・月・花」  「化粧」

「命の別名」  「夜行」   「御機嫌如何」 「あした」  「糸」

数えたら10曲も歌ってました^^;

もう、中毒に近い感じです・・・・^^;。

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日本の抱える「貧困」

先日、スーパーに買い物に行って、カートを押しながら、品物を見ていたら、

60代くらいの、おじさんが、私の後をしきりに着いてくる。

ボサボサの髪、伸ばしっぱなしの髭、鼻をつくすえたような臭い、ボロボロの洋服・・・・

一見して、「おそらく、ホームレスの人なんだろうな・・・」と思った。

しばらく、私の後を着いてくると、突然、

「食べるものが何にもないんです。ずっと、おじさん食べられてないの。100円でもいい。いくらでもいいから、何とかしてくれないかね」と、声をかけてきた。

最初は、正直怖かったし、無視していれば諦めるかなと思って、そのまま私もカートを押して歩いていたんだけど、

「お姉さんさ、おじさんの言ってる意味わかるよね?いくらでもいいんだ。」

と、更に声をかけてきた。

お店の人に知らせるとか、「おまわりさんの所へでも行ってください」とでも言おうかとも思ったけれど、何となく勢いというか、気迫に押されて、

あと「本当に何も食べていないのなら、ちょっと可哀想」という気持ちもあり、

結局、持っていた小銭の中から、小額だけ渡すと、

おじさんは、「ありがとね。助かった」と言って、私から離れて行った。

私がしたことは、そのおじさんにとって、「本当に良かったのか」と、

わからずに、ここのところ、ちょっと考えていた。

ホームレスになったのには、きっとそのおじさんなりに理由があったのかもしれないけど、

何も仕事をせずに、他人からお金を恵んでもらうことが、果たしてその人にとって良いことなんだろうか?

自立を、妨げることにならないんだろうか?そんな風にも、思った。

たまたま、昨日夫のお姉さんから、「もう読んだから、この雑誌良かったら持って行って。」と、渡された雑誌の中に、「ホームレスの支援をボランティアでやっている」という人の特集記事があった。

その人は、湯浅誠さん、という人で、東大大学院法学政治研究科博士課程単位取得後、退学し、90年代半ばからホームレス支援活動に携わり、現在NPO法人自立生活サポートセンターもやい、の事務局長を、無給で続けている。

湯浅さんはインタビューの中で、こんなことを言っていた。

「貧困になるような人は、これまで勉強も努力もしてこなかった。無計画に自由気ままに生きてきた。                                                 今、そのツケを払っているわけだから自業自得。貧困は、あっても仕方のないことだと。  貧困は自己責任だという考えがずっと続いてきているんですね。

そうじゃないんです。自分ですごく努力して、がんばって生きてきて、だけど報われないという人だけが、支援に値するというような考え方から抜け出していかなければならない。

その考え方だと人を減点法で見るしかなくなってしまうんです。

誰だって欠点の10や20は持っているわけですよね。

10や、20の欠点があるけど生きていける人と、10や20の欠点があって生きていけなくなる人がいて、生きていけなくなったとたんに、あなたが生きていけないのは、この10や20の欠点のせいなんだと。だから自分で引き受けるしかないという、生を値踏みするようなことがあってはならないんです。

貧困の問題は人権の問題として考えるべきです。

人権を持つに値する人と、値しない人を区別するならば、それはもう、人権ではありません。」

また、こんな風にも言われていた。

「(ホームレスの支援活動をしていて・・・)現場で生身の人間に対応していると、かわいそうじゃない人って、たくさんいるんですよね。

でも、彼らの立場で考えてみると、そのかわいそうじゃなさ加減にも背景があるんです。  野宿者で、おれはアパートなんか入りたくない、路上がいいんだという人はいくらでもいますが、そう言うには言うだけの経緯や条件があって、私達の活動の中で、その人がアパートに入居したら、こんどは、アパート生活を一生懸命、維持しようとするんです。

ですから、相談を受けて話をして終わりではなくて、その人が置かれた条件を変え、頑張れる基盤をいかにつくるかをやっていかなければならない。長く活動しているうちにそれが当たり前になっていきました」

そして、貧困は経済的に困窮した状態だけを言うのではない。その困難さを誰にも相談できない、つながりの希薄さ、人間関係の希薄さ、孤立もまた貧困である、という風に、雑誌の特集では、結論付けていた。

この記事を読んで、私も「貧困はある程度自己責任だ」と考えていた自分に気付いた。

働けるのに、働かないのだから、貧困は当たり前で、自分で引き受けるべきだと。

でも、これを読んで、考え方がちょっと変わった。

「貧困は自己責任だと言って、生を値踏みしてはならない」という言葉に、心が強く動かされた。

普通に生活を送っていると、自分の周りの人、だいたい同じくらいの生活水準の人としか接することがないため、「貧困に喘いでいる」人々の姿に、なかなか気付くことができない。

いや、気付いているのに、「知らぬふり」をしているのだと、思う。

そういった、人間関係の希薄さ、つながりの希薄さが、「孤立」を生み、「現代日本にある貧困」が、ますます深刻さを増しているようにも、思う。

現代の日本、豊かな国といわれる日本の中にも、「貧困」は、確実に存在している。

私は、あのおじさんに、声をかけられ、お金を渡したことで、目をそらしていた「事実」と向き合うことができた。

私がした行為が、正しかったか、正しくなかったかは、わからない。

数百円のお金で、とりあえずの「飢え」は凌げたかもしれないという程度でしかなく、その背景には、豊かな国と言われる日本に、「確実に存在する貧困」という問題が立ちはだかっているんだと思う。

でも、そのことをきっかけにして、こうして社会問題になっている「現代日本が抱える貧困」について、私なりに、いろいろと考えるきっかけを与えてもらえた、とも思っている。

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トンネルの向こうに行くの?

今回の、祖母の葬儀の前に、私の甥っ子が聞いてきました。

「ひいばあ(祖母のことです)も、トンネルの向こうへ行くの?」

一瞬、私も何のことを言っているのかわからなかったんですけど。

多分、昨年に私の父を亡くした時、甥っ子も、火葬場まで行ったので、お棺が中に入って行くのを見ていて、姉に「眼鏡のおじいちゃん(私の父のことです)は、どこに行くの?」と、聞いていたので、火葬場の中のことを、「トンネル」と言っているんじゃないかな~と思いました。

父を亡くした後に、甥っ子に絵本を読んであげたことがありました。

「わすれられないおくりもの」という、スーザン・バーレイという絵本作家の作品です。

「まわりのだれからも、したわれていたアナグマは、年をとって死んでしまいました。     かけがえのない友を失ったみんなは、どう、悲しみをのりこえていくのでしょうか・・・・。   スーザン・バーレイの手になるこの感動的な絵本は、友人どうしのあり方や、たがいに、心や技を伝え合っていくことの大切さ、ひいては、人間の生き方をも、静かに語りかけています(評論社 わすれられないおくりもの まえがきより)」

この絵本の中では、「死」という、子どもにとっては、なかなか理解し難い内容に触れています。

主人公の「アナグマ」は、「自分の年だと、死ぬのがそう遠くはないこと」を、知っていました。

それでも、アナグマは、死ぬことをおそれてはいません。

死んで身体がなくなっても、心は残ることを、知っていたからです。

ある日、アナグマは、素敵な夢を見ました。

そして、その次の朝、アナグマは死んでしまったのです。

「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら  アナグマより」という手紙を残して。(もしかしたら、甥っ子は、”トンネルの向こうへ行くよ”というこの絵本の中の言葉と、火葬場とのイメージを重ね合わせて、前述のように聞いたのかもしれません。)

アナグマを慕っていたキツネや、モグラ、カエル、ウサギなど、多くの仲間達が、アナグマの「死」を悲しみます。

でも、動物達は、「アナグマに教えてもらったこと」や、「アナグマとの思い出」を思い出し、アナグマが、ひとりひとりに、別れたあとでも、たからものとなるような、知恵や工夫を残してくれたことに気付き、アナグマを喪った悲しみを乗り越えていく、というお話です。

「トンネルの向こうに行ったらどうなるの?」と、甥っ子に問われたので、

「トンネルを抜けて、お空に上って、天国に行くんだよ。それで、お空からいつもみんなを見ていてくれるんだよ」と、答えました。

子どもに、「死」というものを、教えたり、理解させたりすることは、簡単なことではないと思います。

つい、話をそらしてしまいがちになりますが、

私は、しっかり「子どもと、向き合って、”死”について、子どもがわかる言葉で、話し合う」ことが、とっても大事なことだと思っています。

私は、「身近な人の死」に触れるたびに、自分自身が「生きている意味」「生きていくということそのもの」について、深く考えさせられます。

”死”について考えることは、ひいては”生きる”ということの意味を問うものだと思っています。

子どもであっても、それは同じではないでしょうか。

私は、以前保育の仕事をしていましたが、就職したての頃と比べ、園で、「動物」を飼う機会がかなり減ってきています。

アレルギーの子どもが増えたこと、衛生管理の点など、「園で動物を飼うこと」については、賛否両論いろいろな意見がありますが、最近は動物を飼う園が減ってきているのは、確かです。

私は、アレルギーを持つ子どもには、十分配慮をしながら、衛生面にも、保育者ができる限り配慮し、気をつけながらであれば、「動物を飼う、世話をする」ということは、子どもにとって、とても貴重な経験になる、と考えています。

動物を飼い、みんなで、世話をしていく中で、時には可愛がっていた動物の”死”に触れる機会があるかもしれません。

そういった経験を通して、生きているもの、命というものには、必ず”死”という「終わり」があること、そして、その”死”をみんなで、悼み、今までみんなに「いろいろな喜びや、楽しい思い出を与えてくれたこと」に感謝し、その悲しみを乗り越えていく、ということを、知ることができるのではないか、と思うのです。

時代がめまぐるしく変化し、「ゲームの中でキャラクターが死んでも、ボタンを押せばすぐに生き返る」というような、経験しかできず、「”命”の尊さ」や、「生きることの意味」を、子ども達が、なかなか学びにくい世の中になっているように、感じます。

そんな中で、身近な人や、可愛がっていた動物の”死”に触れ、「命の重さ」や、「生きることそのものの尊さ」を、子ども達が学ぶということは、人間として、大人になっていく過程で、とても大切なことなのではないかと、思います。

葬儀での、甥っ子とのやり取りを通して、ふと、そんなことを考えさせられました。

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